読書感想書いてみた「山月記 」中島 敦
読書感想文を書いてみました。
中島 敦 の「山月記」です。
初めて読みました。
学生の時に教わったのかもしれませんが、全く覚えていませんでした。
こんにちは。たかひー@takahii65 です。
恥ずかしながら、中島敦の事も全く知らなくて、知ったきっかけは文豪ストレイドッグスという体たらくであります。
「山月記」中島敦
人が虎になる、というこの有り得ない話は、完全にお伽話であり、この「山月記」は「人虎伝」という話を典拠としているお話である。
お伽話は総じてシンプルな話が多く、その登場人物や出来事は、何か別の事柄の比喩として読み手に訴えかけて来る。
読み手は、自分の経験や知識、感情や環境に応じて、その話を置き換えて自身に照らし合わせて読み進める。
私もそうして読んだのだが、この虎に変身する話は、思ったよりもずっとリアルであった。
物語の冒頭は、漢文を読んでいるかの様に、淡々と主人公である李徴の性格や人生が語られる。
李徴が発狂し姿を消すまでは、本当にリズミカルに情報がアウトプットされている。
しかし、李徴の友人であった袁傪が登場し、虎となった李徴が現れてからは、一転、ゆったりと二人の会話や細やかな心情が語られて行く。
この緩急(急緩か?)のついた語り口が、自然に、深く、読んでいる私の感情を揺さぶって来た。
高慢で自分勝手、自身の価値観でしか行動出来なかった李徴に降りかかった不幸に同情する気にはなれない。
しかし、彼の詩に対する執念や憧憬には、理解出来る自分がいる事に気が付いた。
李徴の様に、形振り構わず自分自身の求める道に邁進出来る人生に憧れを感じたのである。
人は社会の中に存在していて、それなりの責任と、周りの人間関係の中で生きている。
私だって、仕事の責任や、家族の生活を守る為に色々と我慢しながら生きている。
それらを全く無視して、所謂アウトローな人生を送る事を想像してみた事は、誰にでもあるのではないだろうか。
しかし、そこまで自分勝手な人生に振り切ってしまった者の末路は悲惨なものであろう。
虎に変身してしまった李徴の姿は、その事を表している。
後悔と、自身の才能に対する猜疑心、家族に対する懺悔である。
袁傪に語る李徴の言葉は、まるで死刑囚の独白である。
李徴は重罪を犯した訳では無いが、社会的な責任を果たさず、家族を不幸に陥れた事は、人間としては死罪に値する罪だという事なのだろう。
だから、李徴は虎になったのだ。
林間の草地に響く虎の咆哮は、李徴の慟哭と言うよりも、これから人としての人生が終わる死刑執行のブザーである。
自由と責任は表裏一体のものなのだ、と改めて教えてくれた作品であった。
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